鈴木敏夫のジブリ汗まみれ
良コンテンツ。
回を重ねることに、コンテンツが増える。登場人物が変化していくことに加えて、一角の人物が出演するため聞いていてかなり面白い内容だ。これは鈴木敏夫だからこそ出来た番組で、芸能人では絶対に作れない。
話す内容が、機知に富んでいる。パーソナリティが年齢を重ね且つ、知恵・知識があり、交友関係が広いこと……これこそが、ジブリ汗まみれの魅力だろう。
コネを使ってナレーションになった人もいて、不快に感じたところもあるが、鈴木氏は感情を逆なでするようなことも「宣伝」には欠かせないと考えているため、それも番組を長続きさせるための戦略だ。リスナーがジブリに入社して、その恋愛模様を語らせたりするのも、視聴者の中でそれに共感したり、反発したりするのをほくそ笑んでいるのだろう。
登場人物が変われば、聞いている人の感情が変化する。
それは良い場合も悪い場合もあり、両方あるからこそコンテンツの血肉になる。
ある意味、ラジオ番組でありながら人間的だ。
コンテンツ=人間を作ろうとしていると言ってもいいだろう。
つまり、人間とは表と裏がある。好きなところも嫌いなところもあるのが人間である。番組として面白いだけじゃなく、問題定義するような事を言ったり、反発されるようなことを行ったり、ジクジクと痛むような嫌な部分を作ったり、多面的な表情を作ることで、番組に生命が宿るようにしている。
ドワンゴの川上氏が、ニコ動は生命を作ると言う方針で運営している(←要約し過ぎだが)と話していたが、まさにラジオでそれをやろうとしている。
番組が作り物の無機物ではなく、体温の感じる有機物(生命体)だからこそ、多くの人がそれに取り憑かれて、何度も視聴してしまう。例え視聴しなくなったとしても、有機物であるため、記憶に残りやすく、また視聴者として戻って来やすい。
そして戻ってきた時、そのコンテンツの膨大さに驚くだろう。
自分が聞いていないあいだに、沢山の一角の人物が登場し、含蓄のある話をしている。それを全部聞き終える頃には、頭の中がぐちゃぐちゃと混乱し、整然としたものを破壊するように……機械的な思考にエネルギーを注ぎこみ燃焼させるように……、変化を感じる。
この変化が、さらに中毒を産む。
もしかすると、この視聴者が感じる変化を直接感じたいから、鈴木氏に会いたいと思う人が大勢いるのかもしれない。鈴木氏に会うと、それに紐づく別の人もそこに集まり、新たな刺激を受けることが出来る。刺激を受けると、自分の中にエネルギーが湧き立ち、より良い仕事・経験ができる……。
化学反応。
燃焼。
ジブリ宗教に加担したくはないが、それにとりつかれた人が鈴木の周りに集まってきて、それが良コンテンツを作る底力になっているのだろう。
鈴木敏夫に会いたいと思っている視聴者は大勢いるだろう。京大生のリスナーで、その後ジブリに入社する若者がまさにその典型だ。しかし、あえて批判するなら、それに取り憑かれている人が大勢いるからこそ、ジブリが凋落していく。自発的に、自己責任のもとに行動できる人物が現れなかったから、いつまでたっても鈴木氏や宮崎氏、高畑氏に頼らざるをえない。
ジブリの社風的に、自発的に行動する人が居場所がないというのも見て取れるだろう。宮崎氏や鈴木氏がほしいのは、手駒だ。頭は自分であって、他の誰かに任せるつもりはない。だから、自発的に行動できる人はとっとと独立して、自分のやりたいようにしている。
庵野氏や細田氏、IGの石井氏などがその典型だろうか。
コンテンツを作り、中毒者を作る手腕は見事。
しかし、その手腕が見事すぎたために、後継者が育たなかったわけだ。
鈴木氏を殺してでも、自分が長になると言う意気込みを持ち、野心を燃えたぎらせる人物が集まらなかったことは幸か不幸か……。中毒者=支持者が周りを囲ったとしても、自分に変わる人物が出てくるはずがない。平たく言うとYESマンばかりが集まったと言っても良いだろうか……。
今後ジブリの作品がまったく生まれないという侘びしさもありつつ、その功罪はやはり本人にあると言わざるをえないところが皮肉。