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コナン 映画(12作目)

 まずは、興行収入から見てみましょう(笑)。

 9)水平線上の陰謀  21.5億円
10)探偵たちの鎮魂歌 30.3億円←上がった
11)紺碧の棺     25.3億円←下がった
12)戦慄の楽譜    24.2億円←下がった
13)漆黒の追跡者   35億円←上がった


 興行収入を見た上で、12作目「戦慄の楽譜」は、素直に面白かったです。
 視聴者が見たい「コナンの映画」になっていました。

 10作目、11作目の不満から売上が右肩下がりに来ていましたが、ようやく12作目で下げ止まりました。下げ止まった理由の1つに、13作目の内容がもともとお客さんを惹きつけるものだったという要因もありますが、明らかに12作目は視聴者が見たい作品になっていたと思われます。

 コナンが事件の中心に立ち、推理をして事件を紐解いていく。
 複数の事件が入り乱れつつ、犯人を突き止めていくさまは、王道に立ち返ったと安心して試聴できます。事件に直接関係ない演出も、ちゃんと伏線になっていて、最後の最後に効果的に回収されていてとても気持ちがいい!(源太と灰原のやつですね)


 シリーズものの場合は、視聴者が見たいものがある程度決まってきます。それを逸脱する内容だと、満足度が低く、売上が下がります。コナンという子供向けの映画でありながら、これが如実に現れているのは、ちょっと面白いデータですよね(関心)。

 話はコナンから離れてしまいますが、40作以上続いた「男はつらいよ」も基本的な話の構造は同じです。虎さんが惚れる魅力的な女優と場所が変わっているだけで、基本は片思いして、フラれるお話です。
 しかし、お客さんは話の構造がわかっているにもかかわらず、飽きることなく何度も足しげく映画館に通いました。話の構造がマンネリ化しても、お客さんの満足度はマンネリ化しなかったということですね。


 コナンの映画も、「コナンが問題を推理して解く」という大前提を崩さなければ、今後も売上を落とさずに行けます。誰が主人公か=コナンです。園子や欄が活躍するのは問題無いですが、話の中心に主人公がいないと、筋が通せずお客さんに見捨てられるだけでしょう。
男はつらいよ」も虎さんからじゅん君(?)に主役交代できずに終わってしまいましたしね。
 見たいものを作りつつ、エッセンスを変えることが大切だということです。