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コナン映画 コンセプトのズレから生じる違和感

これまで1~17作目まで見てきて感じたのは、後半になるにつれてどうも満足の行く作品が出てこないということです。
特に15~17作目は不作と言っても仕方のないレベルに、品質が落ちていると感じられました。映像表現のレベルは上がっているので、画面は迫力があって面白いのですが、内容が伴っていないように感じられます。

その理由はなにかを考えてみました。

■仮説
 「コナンが万能超人として描かれすぎているのではないか?」

アガサ博士の道具が万能すぎるということもありますが、コナンの行動が超人的に描かれています。アニメーションですから多少の誇張は、面白さを出すための演出として許容されますが、昨今のコナンの描かれ方は、「多少の誇張」の域を大きく出ていると言わざるをえないでしょう。

ここに、コナン映画に感じる違和感が潜んでいると考えられます。


コナンの元々のコンセプトは何でしたでしょうか?
いつも映画の冒頭に話していますよね。

見た目は子供、頭脳は大人

子供の肉体というハンディキャップ(犯人逮捕や事件捜査という意味でのハンディキャップ)を乗り越えて、頭脳で事件を解決していくというのが、コナンの大前提のコンセプトです。漫画でも最初の方は、犯人を捕まえられずにボコボコにやられてしまいましたね。


ストレートに言うと、この大前提を監督・脚本家・演出家は忘れています。

スケボーが得意な小学生(高校生)のレベルを完全に超えて、プロスケーター以上のテクニックでスケボーに乗ったり、スノボに乗ったり……。サッカーも、ちょっとうまいのレベルではなく、プロ以上の技術を持っているように描かれたり……。
犯罪現場でも、「子供の体」を利用してうまく操作するのではなく、大人と同じかそれ以上の行動力で調査したり……。


肉体という制約を、頭脳でカバーするところがコナンのカッコ良い所だったはずですが、もはやアクションスター・ジャッキー・チェン並みの行動力を持ってしまいました。
その1シーン・1シークエンスだけを見れば、かっこ良く動いて、ハラハラ鬼気迫るスペクタクルなのですが、それが終わった途端に「コナンすごすぎじゃない?」と違和感を覚えてしまうのです。


17作(現在のところ19作)も作ってきているのですから、たしかに新しいことをしなければお客さんも飽きてマンネリ化してしまうでしょう。ですから、ある程度は許容せざるをえないのかもしれません。
しかし、コナンの「見た目は子供、頭脳は大人」と言う部分を崩してしまっては、そもそもそれはコナンである必要がない……と断言しなければなりません。見た目はコナン、中身はジャッキー・チェンでしょう(笑)。


痛烈に静野監督と最近の脚本家に対して批判をしていますね。
彼らの作った作品を面白いと思っている人もいますから、あまりこういう批判は良くないのかもしれません。以前も書いたとおり、上記のような考えはマイノリティ(少数派)です。多くの人は面白がってみているのです。

ただ、ひとつだけフォローしておくなら、別にコナンが嫌いというわけではありませんし、静野監督や脚本家が嫌いというわけでもありません。ただコナンの映画(1~5作目に限り)が面白かった記憶があり、また面白いコナンの映画を見てみたいと強く望んでいるからこそ、反作用として痛烈な批判をしてしまうのです。

本心は、「面白いコナン映画を見たい」ですからね(笑)。
なんとかしてもらいたいものです。