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コナン映画(17作目)

名探偵コナン「絶海の探偵」見ました。

これまで1~17作目まで見てきましたが、「これでいいのかな?」と疑問に思う内容でした。

検索して本作の評価を確認してみると、絶賛・高評価が多かったです。

これも意外でしたね……。

良い所も少しはありましたが、総評としてはマイナスな印象でした。不満足です。
コナンの映画=面白いと1~5作で刷り込まれてしまったせいで、それ以後ずっとそれと比較してしまって正しく映画を評価できなくなっているのかもしれません。今作からコナンを見始めた人は、もしかしたら面白いと感じるのかもしれません。


悪くはないけど、ミステリー……謎を解いていくという感じはあまりないですね。それに、キャラクターの演出にもかなり違和感と不快感を覚えました。こう考える人は、おそらくマイノリティ(少数派)なんでしょう。マジョリティ(多数派)は、昨今の演出を受け入れて楽しんでいるため、興行収入も上がっているのです。

楽しめる人が羨ましく感じます(笑)。もっと素直にコナンの映画を楽しめればよいのですが、ひねくれてます。

最初の方など、小五郎のキャラクター造詣があまりにひどく、いる意味が無いとさえ思いました。最初の頃は、シティハンターを手がけたこだま監督の影響で冴羽リョウ的な、コミカルなんだけど締めるところは締めてカッコイイキャラクターでした。しかし、声優が変わったことと監督が変わったことで、小五郎の造詣が低俗で、下品に成り下がっています。

ただの空気がよめない下品なオヤジ何ですよね。今の小五郎の演出は……。だから、見ていて笑えないんです。コミカルに演出しているつもりなのでしょうが、ただ下品さだけが目立っています。
ただ今作はちょっとだけ活躍しました。眠りの小五郎も復活してましたし、下品な伏線も終盤でしっかりと回収できていて○。

全体的に15作目からずっと感じている違和感は、キャラクターの行動に納得の行く理論がないからです。

スケボーで道を逆走するシーンが15作目にありましたが、単に迷惑をかけているだけとしか見えませんでしたし。格好いいシーンを描きたかったのかもしれませんが、コナンの行動としては違いますよね。「最初道の端を走っているところに、止むに止まれぬ事情が発生して、道に飛び出す」これなら納得できます。
演出がもう少しだけ気を使って丁寧になってくれれば、納得感は出ます。監督がアクションシーンにばかりかまけて、仕事をしていない証拠ですね(笑)。今作を見ている間も、静野監督降板してくれないかと思ってました。商業的には成功していても、「映画」としての完成度は低いです。


また今作は、久方ぶりに欄の格闘シーンがあります。
これに至るまでの会話の流れ・欄の行動もリアリティにかけていましたが、それ以上に格闘シーンがこれみよがしな演出で癪に障りました。刃物を持っている相手と格闘すれば、それはそれで緊張感が出ますね。
しかし、それ以前にどうして欄は子供をつれて逃げようとしないのでしょうか。
空手を習っているから、犯人を取り押さえようというのでしょうか……。
これも納得感はないですよね。「逃げようとして、逃げ切れないから子供を逃がすために戦う」という演出であればまだ納得できます。しかし、いきなり飛びかかるのってどうなんでしょう? 意味がわかりませんよね?


大阪の服部の流れもつまらなかったですし(やっつけすぎるため)、電話ばっかりしていてげんなりです(これは仕方ありませんけどね……)。

ちょっと気づいたのですが、携帯電話が一般に広まってから、映画の中で、ランがことあるたびに新一に電話するというシーンが加えられるようになりました。別に構わないのですが、事あるごとに「ちょっと電話してくる」というのは、新一のありがたみがまったくないですね。


上記、見ていて納得がいかないところは数を上げればキリがありません。
(サッカーボールのくだりも失笑してしまいました)

しかし、このように不満を持つのは、マイノリティ(少数派)です。
多くの人は、面白いと高評価しています。あの演出で納得行くというのは、知らないからこそ受け入れられるということでしょうか。それとも、コナンの映画に対する要求水準が低いのでしょうか。

あるレビューでは、大人が見れる映画――とありました。マイノリティ派としては、まったく逆の意見です。大人の視聴に耐えられない映画です。設定のリアリティに演出のリアリティのどちらも練り込みが足りません。
かと言って、子供に見せたい内容かといえば、見せたいとは思えませんね。
一体誰に向けて作っているのでしょうか?


脚本家が「相棒」シリーズの櫻井武晴さんとのことですが、やっぱり日本の警察作品を作ってきた人だけあって、レベルが低いですね。10作目・11作目の柏原寛司さん同様に、映画の脚本を作るにたる人ではありません。
相棒にしろ、なんにしろ、日本の映画は、結局のところ俳優の「顔」で持っている事が多いです。全部とはいいません。しかし、ほとんどは俳優の顔で間をもたせています。それに頼って、似たり寄ったりの話ばかり書いているから、日本の映画が衰退してしまうわけで、両人ともその影響を受けられてきたのか、程度が低かったです。

 

ボロカス書きましたが、これらは所詮マイノリティ・レポートです(笑)。
多くの方は楽しめたようで、結果オーライだったのではないでしょうか?