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馬鹿騒ぎ

渋谷でカウントダウン逮捕者が出たようで、間抜けというか。愚かというか。
笑い草にしかなりませんね。
逮捕された人の価値観としては、武勇伝になるのでしょうか。

推測ですが、逮捕された人の人生は、今回のカウントダウン逮捕以外にも数々の逮捕歴に彩られているはずです。現在逮捕歴がなかったとしても、今後いろんな犯罪行為をして、逮捕されていくでしょう。
倫理観が欠如しているのではなく、逮捕されるようなことをすることこそが、本人の日常なのです。「悪いことをした」と言う認識には決して至らない。

何故か?
すなわち、逮捕者同士(または近い価値観同士)の村社会に生きているからです。
逮捕されたとしても、笑い話として済ませられる。後ろ指さされることもなく、逮捕された前と後の生活に変化が全く無い。本来、犯罪を犯すと会社から解雇されたり、住んでいる街には居づらくなるものです。友達付き合いだって疎遠になる。

しかし、彼らの仲間内ではこの感覚は全く無い。

逮捕されようが、殺人を起こそうが、強盗を起こそうが、彼らの仲間意識は強靭で、どんなことがあっても裏切らない。もし、子育て中だったとして、ママ友からハブられることもない。つまり、犯罪を犯したとしても社会(仲間)から、非難されることもなければ、排除されることもない。むしろ武勇伝として、賞賛されるわけです。
仕事を失ったとしても、友だちの紹介で仕事にありつけるわけです。

いわく言いがたいですが、強靭な仲間飲みのコミュニティを形成した彼らにとって、社会=外国くらいの認識なのでしょう。
普通の感覚では、犯罪を犯すことによるデメリットがあまりにも大きすぎるためにそれを躊躇します。友だちの紹介でありつけることが出来ないような仕事をしている人にとっては、死活問題です。もちろんデメリットだけではなく、倫理的に「人間として踏み越えてはいけないライン」を把握しているため自制心が起こる。

この普通の感覚を、カウントダウン逮捕者がもてない理由は、少数もしくは、狭い地域の仲間内で暮らしているからです。普通の感覚が社会における感覚ではなく、仲間内での感覚になっていくため、「普通」がおかしなことになる。

カウントダウン逮捕者について言えば、また同じようなことで逮捕されるでしょう。
そこでついた味噌は、彼らにとっては武勇伝にしかならず、「大したことではない」と考えるからです。
もしこの犯罪の連鎖を止めたければ、彼らに社会の広さを見せる以外にないのではないでしょうかね。