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悪いことを考える脳より

 前のブログでも書いたとおり、悪いことを考える人は、普通の人が意図しないところで利益をあげようとする(少し誇張している)。

 悪いことをすれば、普通初期の段階で失敗したり、立ち行かなくなったりする。このハードルを突破した、生粋の悪だけが、表舞台に登場するため、悪いことを考える人は「ある意味」優れているようにみえるのだ。

 悪いことをしなくとも、優れている人は多い。それ故に、霞んでしまって話題に上がらない。悪人だからこそ、ニュース沙汰になり広く周知されるのである。法律の網を抜け、柔軟な思考で行われる犯罪に、多くの人が驚きを隠せない。
「なぜそんなことを考えついたのか!?」
 と言うような詐欺事件や汚職など、事例を挙げればキリがないだろう。


 悪事は憎むべきものである。
 しかし、ただ憎むばかりでは脳がない。悪人と同様に善人にも脳はあるのだ。
 悪人が考えぬいた末、導き出した悪事の方法を分析する。そして使えるエッセンスは、自分がやっている仕事なり勉強なりに応用してみるのである。


 犯罪が報道される時、
  ・理由
  ・方法
 が何となく報道される。
 さわりだけ、報道されて、事件について知りたければ、ノンフィクションライタやルポライタが取材した記事を読むしか無い。本来、見ている人が知るべきは、犯罪が起こったことではなく、それを起こした理由と方法なのだ。

 テレビや新聞が報道している内容にちゃちゃを入れたいわけではない。
 しかし、これらがたんに犯罪に対する恐怖や、憤りという感情を煽っているだけで、それについて掘り下げた内容を視聴者に分析させるレベルには至ってないように見える。
 これは媒体の性質上しかたないのではあるが、せめて<strong>「悪事から学ぶ」</strong>きっかけを作る触媒くらいにはなってもらいたいものだ。


 悪事のすべてが見えないように、聞こえないようにすることは、すべて社会のためになるわけではない。その内容を分析し、エッセンスを抽出し、応用することで、初めて悪事が善行に消化できるのではないだろうか。

 つまり、ストーカ被害があったとして、そのエッセンスを分析することで、自分が被害者にならないように振る舞えたり、犯罪者から自分をどう守ればいいのか判断できるようになる、ということだ(警察に頼っても、何の助けにもならないとかね)。