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ブログです。

主体的に働けば

過労は過労なんですが、主体的に働いていると意外と精神的には問題が生じにくいです。
やらされて長時間働かされたり、上長がふわふわする人で全然主体的に動いても後で覆されると、精神的にかなりダメージを受けます。ですが、そうでない場合は、長時間働いていたとしても、疲れはしますが、やりきった高揚感が生まれ、仕事が面白いと思う瞬間が出てきます。

仕事というものは面白さや楽しさという曖昧な基準で遂行するべきものではなく、任務として、やるべきもの――言わば使命感で遂行するものですので、やはり主体的に動けるということはかなりポジティブになるでしょう。
面白さや楽しさで仕事をしないというのは、姿勢のことで、主体的に行動するかどうかとはまた別の話になります。面白くなくても、「それが出来るのは私しかいない」「私がヤラないとお客さんが困る」というような誰かの為にやるという使命感さえあれば、仕事に対して主体的に行動出来るでしょう。
(話がずれてしまいますが)面白さや楽しさだけで仕事をすると、仕事をする動機がぶれてしまうため、モチベーションを維持できません。これにより、主体性は脆く崩れていくでしょう。

厚生労働省が過労について規定をしてますが、それと同時に労働者の意識改革をしていくべきではないでしょうか。
なぜ働くのか、という目的が曖昧だから働くことにモチベーションを保てないと悩む人が増えていく。

正直なところ、良い仕事をするのに、
 ・面白さも
 ・楽しさも
 ・モチベーションも
必要ないです。
出来る力が有るかどうか。の1択です。
モチベーションなんてなくて良いのです。モチベーションがなくても、否、モチベーションに左右されることなく、素晴らしい仕事が出来たとしたらどうでしょう? 自分にとっても他者にとってもこれほど素晴らしい物はないでしょう。そして、モチベーションという眼に見えないものに左右されずに、自分自身をコントロールし、仕事を完遂させられるということこそが、プロフェッショナルではないでしょうか。

話がずれましたが、主体性は仕事を遂行する上でとても重要になってくるファクターです。
言われてやるのではなく、自分から率先してやる。

これは、過労のストレスを減らし、プロフェッショナルとしての仕事をする上での柱になるでしょう。

本音を語ったら?


夏、子供らがSEALsなどを立ち上げて、政治に関わってきましたが、多くの大人が冷ややかに見るばかりで、その声に誰も耳を傾けません。
ごく一部の熱狂者がネットで取り上げられているため、社会現象に見えますが、実体は薄っぺらい現象でした。

彼らの言葉がなぜ浸透しなかったかというと、本音を語ってないからです。
どうせ背後に政治団体がいて、「ただのヘイトスピーチでしょ」と言う臭いがどうしても抜けない。演説をしていても、真実味がなく、パフォーマンスにしか見えない。馬鹿な学生が、学祭の延長でやっている感じが強く、多くの人の支持を得られなかったわけです。

だってそうですよね。
ツイッターでも何でも、反論者に対して批判・中傷することでしか対抗できない人たちに、共感できますか?
逆に「本音をつかれて、それをやせ我慢して耐えるために、相手を中傷している」ようにしか見えないわけです。簡単に「お前らシね」みたいな言葉が出たりするのが、まさにそれです。
自分らのやっていることに自信がないから、本音を言われると、逆上する。

彼らに必要なのは何か?
彼らが成功するために何が必要だったか?

答えは、彼らがやられていたことをすべきだったのです。

パフォーマンスではなく、本心から「真実を語る」。

問題が起こっているなら、その実情を語る。
単にそれだけです。
言葉は強い。真実の一言が、社会を変えることが出来ます。

原発が良いものだと日本社会が妄信的に進んでいた時代に、たった一人の男が放った言葉が、その盲信している夢を覚まさせたことがありました。

たった一言
  「原発は怖い」
この一言が、本当はそう思っていたけど、みんながいいと言っているから、原発を信じていた層の心をえぐった。本当は怖いと思っていたけど、流されている層がいたのです。その人たちが「原発は怖い」という真実を聞いたことによって、考えを変えたのです。

打倒安倍をするなら、安倍政権に変わった事で生じた問題について、真実を語るべきです。
本当に倒したいならね。
SEALsの活動の中で、裏で政治団体からお金をもらっているとか、元しばき隊のメンバだとか、臭い臭い噂がどんどん出てきてました。彼らの語る言葉が薄っぺらいものだと推測させるのには充分なネタですよね。
でも、語っている内容が「真実」だと思わせる内容だったとしたら……、そんなネタもぶっ飛ばしていたかもしれません。

つまり「SEALsが中心にいる必要が無いくらい、打倒安倍の波が広がっていく」ということです。そもそも、誰かが中心にいないと成り立たない革命なら、それは端から間違っていたともいえますがね。言論の自由が規制されている国であれば誰かが中心に立って一度壁を壊す必要があります。そして民衆を引き連れなければいけない。しかし日本という国で、ましてツイッターなどの自由に発言できるツールを規制なく使える国で、打倒NNが波及しなかったということは、「彼らの語る言葉に真実味がなかった」ということでしょうね。

アンチャーテッド3のバランスについて

砦までプレイしたところでの評価としては、微妙にバランスがおかしくないか? というところでしょうか。

敵の数・配置・行動、そしてプレイヤーがしなければいけないこと。このふたつのバランスがねじれており、難易度の設定が、前作とずれています。まぁ、つまり、前作と同じ難易度でプレイしているのに、同じような心地よさや難しさでプレイできず、ボコボコニやられて殺されまくっていてちょっと嫌気が差した状態――平たく言うとクリアできないから「変じゃない?」と言っている状態なわけです。

そして、砦に入って、4人パーティですすめることになるのですが、アンチャをプレイしていて初めて味方がウザいと思いました。バトル中の挙動も邪魔で役に立ちませんし、会話もちょっと鬱陶しい。そもそも、字幕と会話があってないんですよね。
ひねくれたことをいわそういわそうと言う思惑が透けて見えて、キャラが生きてない脚本になってます。

1や2では感じなかった違和感ですが、プレイしすぎたということでしょうかね……。過去作が良かっただなんて言ってしまうなんて!

とは言え、2のゲーム性に慣れてしまうと、3に入った途端に、クソゲー臭が強すぎます。2のバランスや操作性が、あまりにも良かった。ダメなところもありましたが、銃を撃っている心地よさは圧倒的に2のほうが上です。もしかすると銃撃戦だけに焦点を当てると、その会館度は2>1>3かも知れません。


この違和感の原因を探りたく、調べてみたところ、本作は1,2を作ったスタッフが関わっておらず、別のスタッフが作っているらしい噂が出ていました。2を作ったチームは、絶賛賞賛されているラストオブアスを作るため、3には関わっていないとか。

……。
ラストオブアスのゲーム性はかなり良かったですよね。
やっぱり2を作ったチームだけのことはありますかね。

4月に発売される4は、2を作ったチームが返り咲くそうなので、それまでには3を(苦行と思って)クリアしないと。

 

アンチャーテッド3(途中の感想1)

2から比較すると良くなったところと悪くなったところがありますね。
1番しっくり来ないのは、銃を撃たれたときの敵の挙動です。

「目の前でアサルトライフルで狙撃されまくっているのに無反応とは!!」

これが無くなっただけで、難易度が格段に上がってきますね。銃撃戦がかなり厳しくなってしまってます。またAIの挙動も進化しており、同じ所にとどまっていて敵を引きつけて戦おうとしても、敵が回りこんできていつの間にか背後にいたりします。
難易度を変えるような進化は取ってもらいたくなかったですね。

それ以外は概ねいつもどおりの面白さ。PS4で作られたため、マップの広大さと緻密さに舌を巻いてしまいます。作るの大変だったでしょう。金をかけてでも作る価値があったと思います。どれだけ売れたのかは知りませんが、これをプレイするだけでもPS4を買って良いと思えるくらいの出来です(もちろん他にも面白い作品がありますからアンチャをクリアした後も楽しめます)。

コレクションを購入し、1から3の途中まで順にプレイしてますが、アンチャの進化とその凄みに驚嘆します。
アクションのシチュエーションの豊富さ(構造は同じですがステージが変わると、受ける印象も変わる)、物語とゲーム性のマッチング、なにより魅力あるキャラクター。1から3までプレイしたからこそわかる物もあります。
アンチャは明確に数字で1、2、3と各タイトルをナンバリングしないため、一見お話しが繋がっていないように見えます。しかし、各タイトルをプレイすると、その繋がりに思わずにやりとしてしますでしょう。ただのネタや会話を伏線として利用する術は見事としか言いようがありません。

銃撃戦についても、他の良作に負けず劣らず戦略性と爽快さがあります。現状は2の方が気持ちよかったですけどね。

馬鹿騒ぎ

渋谷でカウントダウン逮捕者が出たようで、間抜けというか。愚かというか。
笑い草にしかなりませんね。
逮捕された人の価値観としては、武勇伝になるのでしょうか。

推測ですが、逮捕された人の人生は、今回のカウントダウン逮捕以外にも数々の逮捕歴に彩られているはずです。現在逮捕歴がなかったとしても、今後いろんな犯罪行為をして、逮捕されていくでしょう。
倫理観が欠如しているのではなく、逮捕されるようなことをすることこそが、本人の日常なのです。「悪いことをした」と言う認識には決して至らない。

何故か?
すなわち、逮捕者同士(または近い価値観同士)の村社会に生きているからです。
逮捕されたとしても、笑い話として済ませられる。後ろ指さされることもなく、逮捕された前と後の生活に変化が全く無い。本来、犯罪を犯すと会社から解雇されたり、住んでいる街には居づらくなるものです。友達付き合いだって疎遠になる。

しかし、彼らの仲間内ではこの感覚は全く無い。

逮捕されようが、殺人を起こそうが、強盗を起こそうが、彼らの仲間意識は強靭で、どんなことがあっても裏切らない。もし、子育て中だったとして、ママ友からハブられることもない。つまり、犯罪を犯したとしても社会(仲間)から、非難されることもなければ、排除されることもない。むしろ武勇伝として、賞賛されるわけです。
仕事を失ったとしても、友だちの紹介で仕事にありつけるわけです。

いわく言いがたいですが、強靭な仲間飲みのコミュニティを形成した彼らにとって、社会=外国くらいの認識なのでしょう。
普通の感覚では、犯罪を犯すことによるデメリットがあまりにも大きすぎるためにそれを躊躇します。友だちの紹介でありつけることが出来ないような仕事をしている人にとっては、死活問題です。もちろんデメリットだけではなく、倫理的に「人間として踏み越えてはいけないライン」を把握しているため自制心が起こる。

この普通の感覚を、カウントダウン逮捕者がもてない理由は、少数もしくは、狭い地域の仲間内で暮らしているからです。普通の感覚が社会における感覚ではなく、仲間内での感覚になっていくため、「普通」がおかしなことになる。

カウントダウン逮捕者について言えば、また同じようなことで逮捕されるでしょう。
そこでついた味噌は、彼らにとっては武勇伝にしかならず、「大したことではない」と考えるからです。
もしこの犯罪の連鎖を止めたければ、彼らに社会の広さを見せる以外にないのではないでしょうかね。

鈴木敏夫のジブリ汗まみれ

 良コンテンツ。

 回を重ねることに、コンテンツが増える。登場人物が変化していくことに加えて、一角の人物が出演するため聞いていてかなり面白い内容だ。これは鈴木敏夫だからこそ出来た番組で、芸能人では絶対に作れない。
 話す内容が、機知に富んでいる。パーソナリティが年齢を重ね且つ、知恵・知識があり、交友関係が広いこと……これこそが、ジブリ汗まみれの魅力だろう。
 コネを使ってナレーションになった人もいて、不快に感じたところもあるが、鈴木氏は感情を逆なでするようなことも「宣伝」には欠かせないと考えているため、それも番組を長続きさせるための戦略だ。リスナーがジブリに入社して、その恋愛模様を語らせたりするのも、視聴者の中でそれに共感したり、反発したりするのをほくそ笑んでいるのだろう。
 登場人物が変われば、聞いている人の感情が変化する。
 それは良い場合も悪い場合もあり、両方あるからこそコンテンツの血肉になる。

 ある意味、ラジオ番組でありながら人間的だ。
 コンテンツ=人間を作ろうとしていると言ってもいいだろう。

 つまり、人間とは表と裏がある。好きなところも嫌いなところもあるのが人間である。番組として面白いだけじゃなく、問題定義するような事を言ったり、反発されるようなことを行ったり、ジクジクと痛むような嫌な部分を作ったり、多面的な表情を作ることで、番組に生命が宿るようにしている。

 ドワンゴの川上氏が、ニコ動は生命を作ると言う方針で運営している(←要約し過ぎだが)と話していたが、まさにラジオでそれをやろうとしている。
 番組が作り物の無機物ではなく、体温の感じる有機物(生命体)だからこそ、多くの人がそれに取り憑かれて、何度も視聴してしまう。例え視聴しなくなったとしても、有機物であるため、記憶に残りやすく、また視聴者として戻って来やすい。

 そして戻ってきた時、そのコンテンツの膨大さに驚くだろう。

 自分が聞いていないあいだに、沢山の一角の人物が登場し、含蓄のある話をしている。それを全部聞き終える頃には、頭の中がぐちゃぐちゃと混乱し、整然としたものを破壊するように……機械的な思考にエネルギーを注ぎこみ燃焼させるように……、変化を感じる。

 この変化が、さらに中毒を産む。
 もしかすると、この視聴者が感じる変化を直接感じたいから、鈴木氏に会いたいと思う人が大勢いるのかもしれない。鈴木氏に会うと、それに紐づく別の人もそこに集まり、新たな刺激を受けることが出来る。刺激を受けると、自分の中にエネルギーが湧き立ち、より良い仕事・経験ができる……。
 化学反応。
 燃焼。
 ジブリ宗教に加担したくはないが、それにとりつかれた人が鈴木の周りに集まってきて、それが良コンテンツを作る底力になっているのだろう。
 鈴木敏夫に会いたいと思っている視聴者は大勢いるだろう。京大生のリスナーで、その後ジブリに入社する若者がまさにその典型だ。しかし、あえて批判するなら、それに取り憑かれている人が大勢いるからこそ、ジブリが凋落していく。自発的に、自己責任のもとに行動できる人物が現れなかったから、いつまでたっても鈴木氏や宮崎氏、高畑氏に頼らざるをえない。
 ジブリの社風的に、自発的に行動する人が居場所がないというのも見て取れるだろう。宮崎氏や鈴木氏がほしいのは、手駒だ。頭は自分であって、他の誰かに任せるつもりはない。だから、自発的に行動できる人はとっとと独立して、自分のやりたいようにしている。
 庵野氏や細田氏、IGの石井氏などがその典型だろうか。


 コンテンツを作り、中毒者を作る手腕は見事。
 しかし、その手腕が見事すぎたために、後継者が育たなかったわけだ。
 鈴木氏を殺してでも、自分が長になると言う意気込みを持ち、野心を燃えたぎらせる人物が集まらなかったことは幸か不幸か……。中毒者=支持者が周りを囲ったとしても、自分に変わる人物が出てくるはずがない。平たく言うとYESマンばかりが集まったと言っても良いだろうか……。
 今後ジブリの作品がまったく生まれないという侘びしさもありつつ、その功罪はやはり本人にあると言わざるをえないところが皮肉。

3dsについて

 曖昧すぎる説明。
 子供にわかりやすくしているのかもしれないが、シンプルな説明に具体性がなく「普通にプレイする分」には問題ないのだが、「エラーが出た時」はかなりピリピリしてしまう。シンプル過ぎて、どこでエラーが起こっているのか、把握しにくいからだ。
 おもちゃだから、具体的なエラー箇所を示さなくても良いと言う判断なのかもしれない。何もわからない子供であればそれでも良いのかもしれないが、解決したいと考えて試行錯誤している者にとっては、具体的に何が問題なのか、示してもらいたい。

 任天堂の作成するゲームは初心者でもプレイしやすくUIも考えられているが、なんとも納得出来ないところだ。何が原因なのかはっきり示してもらいたい(はっきり示せないからこそ、中傷的になっているのかもしれないが)。

 そういえば、ゲハ論争なるものがあり、任天堂に対する批判をすると任天堂信者が叩いてくるらしい。自分の信じているものを傷つけられることが嫌なのだろう。上記の意見も火種になるのかもしれない(笑)。