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綿矢りさ、朝吹真理子、金原ひとみについて

(ちょっとしたメモ)

朝吹真理子が執筆しないのは、執筆することでお金を得る必要がないため。
 →庶民的な感覚で捉えると、消えたとか言ってしまいがちだが、
  そもそも時間の使い方が庶民とは乖離しているため、
  普通の感覚で彼女の行動を計ることはできないのではないか。

 

きことわが再評価されるには、もう少し時間がかかる。
 →芥川賞作家というレッテルが削り取られて無くならないとだめ。
 →彼女が50歳位になった時、はじめてその凄みが取り上げられる。
 →ストーリーがないという批判や、テーマがないという批判は見当違い。
  普通とか一般的なものがたりの構造を期待したり、
  物語に起承転結の構造があることがあたりまえだと思って読むと、
  誤解しかうまない。
 →人の記憶の曖昧さと思考の飛躍を意識すること。
 →曖昧であることが重要。
  ※重要と決めつけることも、本作を読む上ではマイナスになる。
 →文章が下手と言う批判は無意味。
  単に自分が正しいと思い込んでいるだけで本質を捉えてない。

 

綿矢りさに限らず、作風は変化する。
 →読者だけが変化を拒み、昔感じた思いと同じものを作者に求める。
 →作風が変化したことを否定するのが、ファン。

 

金原ひとみが日本で本を出版することについて。
 →被曝が怖くてパリに移住したくせに、日本で本を出版する。
 →なぜフランス語で、フランスで本を出版しないのか。
 →日本を捨てた奴が、日本で本を出版することに違和感。
  →国民総生産には含まれるから構わないのか?
  →村上春樹も、海外で小説を書いている。
   ※ただ村上春樹被曝を恐れて移住したわけではない。
   ※海外で執筆する作家は何人もいるが、明確に「捨てて」とか
   「逃げて」いるにもかかわらず、日本で商売しているのは、
   少ない。
   →違和感の原因は、日本から出ているにもかかわらず、
    日本で商売してお金を稼ごうとする心根に違和感を覚えた。
    →グローバル社会においては、それもひとつ。
    →でも日本にいない作家が日本が舞台の小説を書いたって、
     何の興味もわかない。
     日本でフランス人がフランスで生活する小説を書くのと同じ。
     →フランダースの犬など名作はある。許容すべきことでは?

 ⇒安全なところに逃げた、というところに嫉妬があるから
  心穏やかに見てられないんだろう。