綿矢りさ、朝吹真理子、金原ひとみについて
(ちょっとしたメモ)
▼朝吹真理子が執筆しないのは、執筆することでお金を得る必要がないため。
→庶民的な感覚で捉えると、消えたとか言ってしまいがちだが、
そもそも時間の使い方が庶民とは乖離しているため、
普通の感覚で彼女の行動を計ることはできないのではないか。
▼きことわが再評価されるには、もう少し時間がかかる。
→芥川賞作家というレッテルが削り取られて無くならないとだめ。
→彼女が50歳位になった時、はじめてその凄みが取り上げられる。
→ストーリーがないという批判や、テーマがないという批判は見当違い。
普通とか一般的なものがたりの構造を期待したり、
物語に起承転結の構造があることがあたりまえだと思って読むと、
誤解しかうまない。
→人の記憶の曖昧さと思考の飛躍を意識すること。
→曖昧であることが重要。
※重要と決めつけることも、本作を読む上ではマイナスになる。
→文章が下手と言う批判は無意味。
単に自分が正しいと思い込んでいるだけで本質を捉えてない。
▼綿矢りさに限らず、作風は変化する。
→読者だけが変化を拒み、昔感じた思いと同じものを作者に求める。
→作風が変化したことを否定するのが、ファン。
▼金原ひとみが日本で本を出版することについて。
→被曝が怖くてパリに移住したくせに、日本で本を出版する。
→なぜフランス語で、フランスで本を出版しないのか。
→日本を捨てた奴が、日本で本を出版することに違和感。
→国民総生産には含まれるから構わないのか?
→村上春樹も、海外で小説を書いている。
※ただ村上春樹は被曝を恐れて移住したわけではない。
※海外で執筆する作家は何人もいるが、明確に「捨てて」とか
「逃げて」いるにもかかわらず、日本で商売しているのは、
少ない。
→違和感の原因は、日本から出ているにもかかわらず、
日本で商売してお金を稼ごうとする心根に違和感を覚えた。
→グローバル社会においては、それもひとつ。
→でも日本にいない作家が日本が舞台の小説を書いたって、
何の興味もわかない。
日本でフランス人がフランスで生活する小説を書くのと同じ。
→フランダースの犬など名作はある。許容すべきことでは?
⇒安全なところに逃げた、というところに嫉妬があるから
心穏やかに見てられないんだろう。