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DQ11(懐かしさについて)

作り手ではないので、昔のドット絵に素直に懐かしさを覚えてしまいます(誰のことを言っているのでしょうかw)。ドットで作られた作品を現在プレイした時、いったいどんな感情・感想を覚えるのか、それは純粋な好奇心として持って良いと思います。懐古とは別に、それを体験することで別の面白さを感じられるのではないでしょうか。

 

そういう意味で、DQ11の3DSの下画面は良い試みと言えるでしょう。つまり、コールオブデューティGTAに慣れた感性が現代のドットのゲームをプレイした時いったいどんな風な反応を示すのか――リトマス紙が赤く染まるのか、真っ黒になるのか、ゴールドに輝くのか……、それは体験することでしかわからないことです。

 

この場合、過去のDQ3やDQ6をプレイしても同じような効果が得られると考えられますが、オールドゲーマーにとっては少し難しいでしょう。それらの作品は過去の遺物です。新しいドットゲームではないのです。現代に蘇ったドットゲームをプレイすることでしか、本当の意味で懐かしさを越えたゲームの表現手法としてのドットの可能性を計ることができないのです。なにせ思い出の作品は、思い出中枢を無自覚に刺激されてしまいますからね。

 

子どもたち世代なら、DQ3DQ6に対して思い出はありませんから、それらのファーストインプレッションを楽しむことが出来るでしょう。作り手がどんな風に思って描画したかはあまり関係ないです。世に出てしまったら、それは作り手だけのものではなく、プレイヤーのものでもあるわけです。一部のエゴを押し付けて批判しても仕方ないでしょう。いまの子供達が本当にドットのゲームを楽しめないのか、絶対に選ぶことはないのか、何の先入観もなく遊んでみて判断してもらいたいものです。

結局、ここの好みにわかれると思いますけどね。