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柔軟性と作家と夢や希望

夢を持つことは良いのですが、それに囚われて周りが見えなくなると正常な人間としての判断ができなくなります。

正常な人間としての判断をまず最初に定義しないといけませんが、生きていくための合理的な判断と今回は考えます。
社会的な理不尽さや、仕事上のやむを得ない判断――給料をもらうためには汚れなければいけない場合が来るでしょう。そのような大きな問題から、小さな問題まで、生活のための判断をしていくと、夢を持つことと相反する判断をしなければいけない時が来ます。そうなった時、夢にとらわれていると、将来に対してリスクしか負えない判断しか取れなくなるでしょう。

作家になると、会社を辞めていったひとが以前いましたが、そのひとは与えられた仕事もろくにできず、いつも夢想しているようにぼんやりとして、そしてふらふらと席を立って戻ってこないことが多かったです。

ある意味社会に対して――会社の中でサラリーマンをするには、難しいタイプの人だったのかもしれません。そういう意味では、一般的な作家のイメージと合致しますね……。仕事の難しさや容易さがどうであれ、与えられた仕事を真摯に、誠実にこなせるかどうかを見てみると、夢想しているだけでは、人から信頼されない人間になり下がってしまうと感じられました。

その人が作家になるかどうかなど、正直どうでもよいことなのです。晴れて作家になったとしても、失敗して朽ち果てたとしても、自分の人生にはまったく関係のない人間ですから、気にする必要はありません。

これは、信用するに値しない人間だからこそ、上記のようなドライな感覚を覚えるのだと思います。社会との繋がりが結びにくいタイプの場合、それだけで仕事をもらえない確率が高くなります。知り合いからの発注というものは結構多い場合がありますからね。そういう業界でなくてもね。
人に表面的に迎合した生き方が出来ないから不器用なのかも知れませんが、そればかりでは存してしまいます。

どんな職業であっても、精神の自由・思想の自由は大事なことだと思います。