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カッカすること、正当性

まとめサイトや、2ちゃんねるを見ると、感情的にコメントをやりとりしている場に遭遇することがあります。
賢いのか、それともヤンキー魂があるのかわかりませんが、かなり酷い応酬が見られます(←巻き込まれたらゾッとしますよね)。


コメント欄では、その人のコメントの真意が完全に書かれておらず、表面的な文面でしかありません。そのため、違うんじゃないのという反論に対して、簡単に反論を返すことが出来ます。

コメントの内容を具体的に問い詰めていく人も中にはいますが、コメント程度の長さの文面ですと、どうとでも解釈できてしまうため、絶対に途中ではぐらかされるか、逆に「だからお前はダメなんだ」と罵られてしまって、一向に冷静な話し合いをすることが出来ません。


ネットでよく言われるのは、どんな人も、自分が正しいことを言っていると認識しているということ。
自分が正しいのですから、絶対に反対の意見を聞き入れることはありません。むしろブチ切れて、感情的になってしまいます(怖!)。


こういう掲示板的な場所で過激な発言している人間の中には、30代40代などもいます。時々殺人予告をして、逮捕されてる中年男性がいますね(笑)。
「こんなことになるとは思わなかった」
「遊びのつもりで書いた」
おそらくそれは本心でしょう。

煽って、相手が怒るのを見て楽しんでいたのです。そして、その結果、現実の世界で逮捕されてしまった。現実と仮想世界がつながっていると認識してないのでしょうかね……。
中年男性が、殺人予告で逮捕されるニュースを見るたび、「こういう人が書き込んでいたのか」とすこし悲しさがあります。いい大人が、そんな感情的に煽らなくてもいいんじゃないかなぁ、と。

虚しいですねぇ。

例えば掲示板なんかで、煽られたら、そういう中年男性が必至になって書き込んでいると思ってみたらどうでしょうか。なんだか、滑稽で笑えます。相手にどれだけ挑発されても、中年のデブがパソコンにかじりついているのを想像してください。怒りも収まるでしょう。

実際に、中年のメタボリックな男性が書き込んでいるかどうかは、どうでもよいのです。単に同じ土俵に断たないように、自分を冷静に保つ一種の清涼剤として、そういう風に考えてみてもいいのではないか?

ということです。