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元少年Aの手記について(2)

10ページほど読みました。
最初の3ページくらいと、トビトビで7ページくらいですかね。
全部を読む勇気はありません(笑)。

もし彼の思想や考え方に、一瞬でも納得したり、共感したりすると……、やっぱり自分の中でその僅かな可能性に対して怖さがありますので、全部熟読するというところまでは行きませんでした。
感情を殺して、論理的に冷静に読めれば良いのですが、やはりそこまで達観しているわけではありませんから、同情してしまったらどうしようとか、共感したらどうしようとか、考えてしまうわけです。
別に仕方ないのかもしれませんが、倫理感から――、
 「同情してはいけない」
 「共感してはいけない」
 「彼の行動に対して、納得してはいけない」
とどうしても考えてしまいますので、読み進めることが出来ませんでした。


10ページしか読んでいない人間が、感じたことを書くのはおこがましいのかもしれませんが、読めなかったということも含めて、感じたことを書いてみます。


まず最初に、たった10ページですが、少年Aの賢さが伝わってきました。
調べたわけではありませんが、かなり読書をしています。語彙の豊富さに驚きました。そこだけでも、彼の編集者が、記憶力が優れているといったことが何となく理解出来ましたね。

ただ、その賢さと読書量について、直感的に「文学」に偏っているのではないかと見て取れました。冒頭の文章を読むとわかりますが、手記ではなく、小説になってます。
小説の主人公として少年Aが事件を起こし、厚生施設にいれられ、出所したあとどんな生活をしてきたか描写されていました。

おそらく自分を分析する手段として、個性施設で心理学と文学(小説)をかなりの量学んできたのではないでしょうか。文章からそれが読み取れます。

心理学と文学を学ぶことで、自分自身を振り返るというのは、ある年齢においてはやっておいて良いと思いますが、そこに傾倒すると、自己陶酔に陥る可能性があるように見えました。その理由として、手記が小説になっていると書きましたが、事件がフィクションのように描写されており、エンターテイメント性が強くなっているのです。

手記とは、小説のことでしょうか?
手記とは、作られた物語のことでしょうか?

小説のように描かれているため、彼自信がそれに対して何を考えているかが読み取れず、自分の美談として描かれているように感じ取れました。警察が家に来て、ベッドから降りる描写や、取り調べの描写など、自分をかっこ良く書いています。
この部分(手記の冒頭)から、読むことに躊躇してしまいました。手記ではなく、フィクションとして描かれているのではないかという、何となく怖さを感じたのですね……。
フィクションに、反省の言葉が載っていても、そもそもフィクションですから、その言葉が意味を成さないことはわかりますよね……。描写方法のせいで、手記自体の真実味――ノンフィクションとしての意味がなくなってしまっています。

<ちょっと要約>
嘘偽りのないノンフィクション(手記)ではなく、フィクション(小説)のように書かれているため、真実味が薄れている(そもそも私の手記に対する定義が間違っているのかな(笑))。

彼の手記のスタイルが、フィクションのように書いてしまうスタイルなのかもしれませんので、否定ばかりしても仕方ありません。
ただ、これによって彼を崇拝している少年少女(ヤフーチャット男や、名大の女など)はより彼を信望することは間違いないでしょう。彼がかっこ良く描かれていますからねぇ……。

賛否両論はあるでしょう。
10ページしか読めなかった人間が言えることではありませんが、これは手記として発表せずに、小説として元少年Aではなく別のペンネームで発表すればよかったと思います(実際にそんな話があったそうですし)。彼自身は、小説ではなく、元少年Aとして手記にこだわったそうですが、それは(言葉が厳しくなってしまいますが)やっぱり、周りの人間に自分のことを掲示したかったのではないでしょうか。

名もない小説家になっても、自分自身を見てもらえません(つまり人気が出ない)。ですから、「元少年A」として表舞台に上がってきたのではないでしょうか……。


どちらにせよ、人騒がせですよね(笑)。