コナン 映画(11作目)
例によってフールーにて、17作一挙配信を利用して、11作目まで見ました。
前回までのお話があまりにもひどかったので、見る気を失っていたのですが、せっかく配信しているので11作目に食指を伸ばしてみました。
11作目は、もう語り尽くされているほど「クソ」という烙印を押されているため、いまさらこき下ろしても仕方ありませんが、まぁ、そう言われるのもうなずけるお話でした。
端的に言えば、お客さんが求めているお話を、悪い意味で裏切ってしまったのです。
極論『コナンを見るお客さんは、コナンの活躍と推理物を欲しています』。
しかし、今作は、コナンの活躍はあるにはあるのですが、カタルシスを生むほどのものもなく、推理して物語を紐解いていく要素が低かったため、満足度が十分に与えられませんでした。この二つの要求を裏切ってなお面白い作品だったら、違う評価だったかもしれません。しかし実際は、ダメという烙印を押されてしまいましたね。
今回は、すべての悪い要素をポジティブな視点で考えてみたいです。
あまりにもひどかったので、どうしてそれを狙ったのか? それがうまくいかなかったのか?を紐解ければ、駄作と言われた本作も報われるのではないでしょうか?
(試み1)大冒険!
うまく言っているとはいえませんが、今作はインディージョーンズならぬ大冒険の要素を含んでいます。
『宝の地図の謎を解いて、お宝をゲットしよう!』
これが根幹です。
映画3作目のイースターエッグの話も、場面をどんどん展開していって、最後はお城の中のダンジョンを探索していますが、11作目は事件の内容が散漫としていて、視聴者が根幹に集中できませんでした。
宝の地図の謎をとくことに注目しつつ、その中で殺人事件が起こっていく。基本の流れは、左のお手本のような流れをたどっています。しかし、それと同時にランをたすけなければいけないという流れが並行に走っているため、視聴者は集中できないのです。
ちょっと↑わかりにくいですね……。
もっと簡単に言うと、コナンが話の中心にいないのが散漫とする原因なのです。
ランたちの危機に、助けに向かうのではなく、とっととその場に行って一緒に行動することで、二つの流れを一本にして、お客さんの集中力を分散させないようにしなければいけませんでした。
これがうまく行っていないため、淡々と話しが進んでいるように見えるのです。
物語の緩急は、登場人物の動きによってつけます。コナンが本筋から離れてしまったため、うまく緩急がつけられなくなったのではと推測出来ますね。
……批評になってますね。
反省。
褒めましょう。11作目を褒めるためにブログを書かねば!(使命感)
本作の良い所、本来狙おうとしていたところは、
『ハードボイルド』
です。
犯人が共感できないほど、ただの身勝手なキャラクターに描かれているのは、まさにこのハードボイルドを狙ってのことでしょう。
そして主人公が物語を引っ張っていくようなストーリ展開ではなく、昔ながらの刑事もののように、大勢のサブ主人公が物語を牽引していくような構造をとってます。刑事が駒ではなく、働いているところがその証拠でしょう(ただし、その弊害として、刑事の会話シーンがダダ流しされ、単調さを際立たせていると言っても良いです)。
これらふたつの大要素が、淡々と昔ながらの刑事物のような本作の魅力につながっているのです。
しかし……、本作を見ると、改めて、キャラがイケてない作品はつまらんのだなと実感してしまいますね。
(あんまり褒められませんでしたねorz)