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影響力以前に……

ネット環境が整ってきたこんにち、そこから発信される影響力は、破壊知れないものになってしまった。

エイプリールフールのネタ投稿が炎上することや、個人がテロ組織を中傷して警察が動くことも、実際に起こりえる時代になってしまった。

SNSがなかった時代を思い起こすのは簡単だ。
だがその時代に戻れるわけはなく、SNSをどのように利用するか、利用者の意識が問わなければいけない。

よく言われることだが、SNSは仲間内のツールではない。鍵をかけて、外部からアクセス出来ないものでも、管理会社や一部権力者(あえて抽象的に……)は、その鍵を開けることなく覗き見ることが出来る。
まだ、鍵があるだけマシではあるが、鍵のかかってないところで迂闊なことを発信すると、瞬く間に拡散され、冗談では済まない事象に発展する。


昔話で「王様の耳はロバの耳」というものがある。
井戸に秘密を打ち明けるが、それはエコーとして返ってきて王様にバレてしまうが、SNSは井戸のような秘匿性があるものではない。そして、IPアドレスをたどれば、誰がいつそれを発信したか特定することは容易にできるのだ。

バカッターと中傷されるようなことをする人は、匿名でそれをつぶやいているのかもしれない。写真をアップしても、特定されないと思っているらしい。その結果として、「身内しか笑えないネタ」を投稿してしまうのだ。
ボーリング場の店員に土下座をさせた人が逮捕されたが、この場合は、犯罪行為を自ら晒しているだけで、愚かとしか言えない。

SNSにアップする行為も愚かだが、犯罪行為をして、加害者を嘲笑っているところがより愚かだ(この場合は使い手の意思が落ちぶれている点が問題点でなのだが……)。

 

書いていて気づいたが、結局のところ、操作方法やリテラシーを高くしようという以前に、道徳や善悪の判断ができないことが問題なのではないだろうか。

 

SNSの影響力を学ぶよりも、善悪の判断を誤っているところに問題があるのだ。明大の新宿での乱交騒ぎ(だったかな?)なども、結局はそのサークルに入っている人間の人間性が下衆だった(←突然思い出した)。
東大で、ツイッターの使い方うんぬんを、気をつけるように通達がされたと以前話題に上がったが人間性を鍛えるほうが、使い方を気をつけることより大切なのではないだろうか。


どうすれば、人間性を高められるのだろう。
まぁ、これがわかれば争いは起こらないか……。