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ブログです。

売れたら人が変わるということ

芸能人ではよくあること。でも普通の会社員だって、よくあること。
さらに売れた途端に、親戚がどんどん増えるのと同じで、なぜか知らないけど売れている人間・商売がうまく行っている人間に声をかけて来る人が多い。

そういうのも、ゲスいというふうに思ってしまうのは、ちょっと潔癖が過ぎると反省してしまう。売れたもののおこぼれにあやかろうと思って近寄ってくるのだろう。
ムシケラどもめ、と弾劾したいが、あいにく売れ始めた商品にちょっと関わった程度なので、別に発言に力はない。

むしろ、売れているところには近づきたくないと思ってしまうのは、どうしてだろう。自分でも不思議に思うが、商売がうまく行ったことの喜びと同時に、興ざめしていく自分がある。素直に喜べないのか。それとも、ほそぼそと売りを立てるほうが性に合っているのか……。

しかし、サポート業務をしてきた人間を無視して、切り捨てて、浮かれているのを見るとなんだか虚しい物がある。これを作ってきたのは、「俺たちだ」と宣言している中に自分は入っていないのだ。
確かにメインスタッフではない。
しかし、1年間細々とメインスタッフが無駄な仕事をしないように雑務をこなしてきた時間は、何だったのかと、涙さえ出る。奉仕したわけじゃない。ボランティアでやってきたわけじゃない。ヤラなければならないと思って仕事をしてきたのだ。

だがそれを全否定された。
存在を否定されたわけだ。

いい大人が、ごちゃごちゃと、スネて情けないと思うが、どれだけ歳をとっても、やってきたことや存在を否定されたら、虚しさが残る。まして、商売がうまく行ったと同時に否定されたら、なおさら虚しい。
給料が貰えてるから、それでいいのか? といえば、そんなことはないだろう。仕事は社会的な繋がりを持つという、人間性を守るためにも存在している。お金をもらうだけのためにやっているわけではない。

今回、その繋がりを断たれたわけだ。
浮かれて、本音が出たのかもしれない。
非常に虚しい結末だ。

売れて嬉しいのに、虚しさしかない。

いっそその商品を名指しして、この責任者は、下支えした人間を全否定する人間だ。と叫んでやりたいが、それも子供っぽい。いや、子供っぽいというのは違うか……。

とにかく、安っぽく被害者ぶったところで、今抱えている虚しさが晴れるわけではない。
会社という組織に属している以上、下手なことも出来ない。

今やれることは、その商売から一刻も早く身を引くために、仕事をほかの人にふることが先決だ。そういう人間にはかかわらない。端的に言えばそれだけのことなのだ。

関わらないようにするために、努力をする。それこそが、今現在、この虚しさに打ち震える自分を奮いたたせる、唯一の事なのだ。
プロデューサと絵描きと、ライターで祝杯を上げてるがいいさ。不義理をしたことに気づかない――仁義のない人間性だったことを軽蔑して、そして、彼らから離れていくしかないだろう。

そう、離れることが大事なのだ。
(ポエムっぽいが、精神を安定させるにはこれくらいポエムに振らないとダメなのかもしれない。ハァ、情けない話だ)