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目標を立てて行動するということ

数年前までは休日含めて、何をするかを時間単位で決めて行動してました。人生は日頃の積み重ねですから、その日その日、何をしておけば次に繋がるのか、と言う事を考えての行動でしたが、結構人からは批判的に受け止められていましたね。

 

機械のように正確に予定を遂行していたので、人間らしさがなく、つまらない人生と思われていたようです。

よく聞いた言葉は「それって楽しいの?」です。

 

それらいわれのない批判の言葉も、発言者の生き方・価値観を守るためのものですので特に目くじら立てるつもりはありませんが、予定を立てる=やることを決める=目標を立てて行動するということは、有意義な部分もあると考えられます。

 

フィーリングで今日はなになにをしたい、と行動することもある種の人間らしさがありますね。しかし、1年10年単位で何をしたいか、目標を立てておき、1日1日のやることをこなしていくことも、10年後の自分に確かな形で返ってきますので、有意義とかんがえることはできます。

 

フィーリングで行動すると、将来こうなりたいと思ったものに対していくつハードルがあって、どう攻略していけばよいのか、明確ではなくなります。明確で無いと、行動が散漫して、無駄な行動をとってしまいます。つまり、だらだらしてしまうということです。

それを良しとするかどうかは、個人の価値観にあるでしょう。

 

会社などで働いていると、年度頭に目標を決めさせられてその行動を取らされますね。これもある意味、仕事に対して無駄なことをさせないようにするための、経営者側の戦略なのです。目標を決めてしまったから、それを守らなければいけないという真摯なサラリーマン精神につけ込んできているわけです。

とは言え、個人の視点から見ると、将来的にそれが損を及ぼす確率はあまりないでしょうから、目標を達成すべく行動することは間違っていません。

 

仮に(と言うかほとんどの場合)目標を達成できない事が多いでしょうが、それでも構わないのです。目標を決める真の目的は、だらだら仕事をしないというところにあります。

長く人生を見たときに、だらだら仕事をしないことや、行動しなかったことは、その人に帰ってくるでしょう。ですから、目標を立てて行動することは、感情を削ぎ落した非人間にみえるかもしれませんが、それを超越したメリットがあると考えられるでしょう。