技術では語れないもの
現状のマーケットや、これからの技術についてアナリストが分析をしていますが、これに危機感を覚えて作られた商品をプレイするかな、と考えたときに疑問が生まれました。
「レッドオーシャンだから新しいものを作って売らなければいけない」とか、「次にブルーオーシャンになるのはこの技術」とイチプレイヤーとして聞いた時、まったく触手が動きません。
「え、それ面白いの?」と引いちゃいますよね。アナリストの分析はごもっともなんですが、遊び手のことがまったく考えられていません。
大前提として「遊び手が聞くような講演ではない!」のですが、見てしまったものはしかたないですよね。一言物申させていただけると幸いです(笑)。
コナミの社長が課金で搾取するという発言をした時にも書きましたが、作り手と遊びてでちょっと感覚がズレているところがあります。搾取する側や技術者から見れば、お客さんは、搾取する対象だったり、新しい技術を投入すべき相手なのですが、そういう言葉はあまり遊び手に見えないようにしてもらいたいです。
遊びて側が一番気にするのは、「どんなゲームで楽しませてくれるの?」だけです。技術や搾取するという発言は、投資家には嬉しい話ですが、消費者にはムカつくだけですからね。
ゲーム産業が次どんなステージに移るのかは、ゲームクリエイターと呼ばれる、遊びの核を作る人が何を作りたいかに寄ります。経営者が、無理やり最新技術を使わせて「これで面白いの作れ」と言っても、出来上がるものはつまらない商品ばかりなのは、目に見えてます。
ゲームの面白さは「何を体験するか」に係ります。
技術先行でゲームを作り始めると、何を体験させるかが、技術に寄り添い、体験させるべき遊びの核が疎かになるでしょう。疎かになるとは、作り手の思い入れが入らないということです。
優等生的なクリエイターが、この技術と虫取りを組み合わせれば面白い体験が出来ると公式を導き出すよりも、虫取りが好きで好きで仕方がないクリエイターが、その体験の面白さをゲームで他の人にも体験できるようにしてくれる方が、遊び手として「遊んでみたい!」と思えます。
たぶん、
・料理が好きで好きでたまらないクリエイター
・遺伝子組み換えが好きで好きでたまらないクリエイター
・競馬が好きで好きでたまらないクリエイター
が、自分が面白いと思ったその体験をゲームで布教しようと情熱を持った時、面白いゲームが出来上がるような気がします。
理想論ですけどね(笑)。
パズドラや白猫、モンスト、ツムツムなど……既存のゲームを下敷きにしつつも技術的に新しい体験をさせてくれ、更に頭の良い運営者がお客さんを手の上で転がすことで超大ヒットを出す例もありますから、上記の理想論は、所詮遊び手側の理想論です。