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エヴァ破

先週の日曜日に、コナンに対するマイノリティ・レポートを書きましたが、今回はエヴァ破で感じたマイノリティ・レポートです。

エヴァはTVシリーズ全話、劇場版『シト新生』『DEATH (TRUE)² / Air / まごころを、君に』『序破Q』を見てきました。
この中で、唯一(?)違和感があり、エヴァも変わってしまったな……もう、これで見るのが終わりかなと感じた作品が「破」でした。

これはコナンを見ていて感じた虚無感と同じといって良いかもしれません。
自分が変わってしまったのか、作品が変わってついていけなくなってしまったのか。どちらかはわかりませせんが、作品を見ても満足行きませんでしたね。

とは言え、コナンと違い、エヴァの方はその虚無感があっても演出が洗練されているため面白く見れました。これは監督やスタッフの腕の違いですから仕方ありませんね。

さて、エヴァで感じた違和感は以下のとおりです。
・加持さんの作る菜園が広すぎる。
・ダミーシステムで、アスカの乗るエヴァを破壊するシーンの子どもたちの合唱


意外と少ないですね(笑)。
たった2箇所で虚無感を感じるとは、どれだけ繊細な神経をしているのでしょうか(がっかり)。

ひとつめはのがっかりポイントは、加持リョウジの思想が損なわれてしまったこと。
ふたつめは子どもたちの合唱は、狙いすぎたエヴァっぽい演出だったことです。

まずふたつめの方から話していくと、エヴァっぽい演出=エヴァなのだから仕方ないところではありますが、この子供の合唱にかぎらず随所に狙いが透けて見える演出が盛り込まれており、食傷気味と言う意味でげんなりしてしまいました。
上記は、別に悪いことではありません。エヴァを見たいお客さんにエヴァっぽい演出を提示してあげるのは優しいです。映画を視聴していて迷うことはありませんからね。

しかし、ひとつ目に上げた加持さんの菜園が、ネルフの一大事業のようになっているのはいけすきませんでした(嫌悪)。畳一畳分の狭い敷地が彼に与えられた唯一居場所。そこで野菜を育てるということを通して、彼は生きていることを実感していました。視聴者も、小さなスペースで再演している姿に共感を覚えたはずです。

映画ではその部分が改変されて、広大な土地で野菜を育てていると言う内容になってます。彼ひとりでは管理できない広さでした。そこは大人の虚栄・虚勢が見え隠れして、真実と見せているものが真実には見えません。
更に言うと、海洋施設のくだりもなんだかプロパガンダを見ているようで、胡散臭さを感じましたね。

当時、会社でエヴァ破見た人が結構いて、絶賛している人ばかりでした。アレは見たほうが良いと口々に言っていたと思います。前評判が良く、その情報を聞いていたために、見る前に期待値が上がってしまったのかもしれませんね(笑)。
当時の感想は「それほどかな」でした。こういう考えを持つ人もいたと思いますが、多くは「これは凄い!」と絶賛していました。なかなか、マイノリティ派は肩身が狭かったですね。

ちなみに序とQも見ましたが、まとまりの良さや映画としては序が一番映画らしかったと思います。Qも読み解くには面白いですが、エヴァっぽい演出は鼻につきましたね(誤解のないように補足するとQは面白いですよ)。