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墓の価値

子供の頃は墓に対して何の感情も湧きませんでしたが、近親者が死んで遺骨をそこに収めたことで、初めて墓の存在理由・価値に気付き始めました。

 

亡くなった方が、そこに存在する……。

 

火葬して骨になっても、ただの物質ではなく「その人」と脳が認識してしまします。ですから、親族は、それをただの骨などと扱うようなことはできません。遺骨が入った箱の前に立ったり、墓の前に立つと、その人の思い出が蘇り、まさにそこに「その人がいるように思えてくるのです」。ちょっと心象的ですが、事実そういう感覚があります。

 

FF10で亡くなった親?と会話しにあの世の出入口に向かうという描写がありますが、亡くなった人に対する思いが強ければ強いほど、対話したいと思うのは自然な流れでしょう。現実ではそういうことはできませんから、墓に対して、お参りをするという行為で、対話の疑似体験をします。世の中にはイタコというものもいますが、これも亡くなった人と話をしたいという欲望の現れでしょうね。

 

ゲームや映画で、人が簡単に死んでしまいますが、やはり自分自身がそういうところに追い込まれると、ゲームや映画がいかに空虚で、作り手の心情が入ってないかがわかります。と言っても、ゲームばかりプレイしていますがね(汗)。