頭の善し悪しについて
誰の頭がいいか?
自分の頭がいいか?
そんな話はもう止めていいのではないかと思います。
頭の優劣をものさしで測ったところで、人間はそれとは無関係に息をして、生きていけるわけです。楽しいこと、悲しいことは頭の優劣とは無関係に人間に襲ってきますしね(笑)。
年を食ったのでしょうか。
人間に優劣をつけて、競争することや比較することに何の意味も感じなくなりました。
仕事をしていると、優秀な人がいれば仕事が捗りますし、馬鹿な人がいれば仕事が雑になったり・クオリティが低くなったりすることが見れます。見えたからといってどうなりますか? 多少は自分の仕事に影響は出てくるかもしれません。しかし、それは多少でしか無いのです。
馬鹿な人でも、丁寧に教えれば仕事が上達します。
優秀な人でも、失敗することはあります。
それに何より、優秀な人から見れば、自分(上記の観察者)は馬鹿に見えるでしょう。
いろんな能力の人が集まって、目的に向かって働くコトが仕事です。ベストチームではなく、ベターチームで突き進んでいくのです。タイムボカンの適役の3人を思い浮かべるとわかりやすいですかね。東大、早稲田、明治、立教などなど高学歴のメンバーが集っても実は完璧じゃないことが多々あります。ドロンジョのような人もいれば、長身の男のような感覚の人もいますし、力自慢もいるでしょう。
つまり、高学歴だからと言って、人間性が失われたロボットではないということです(笑)。
当たり前なんですが、賢さを測り始めると、人間性と言う物差しで他者を見るコトが出来なくなるため(ものさしの役割上、当然なんですが……)、人間の持っている不確実性(適当さ・いい加減さ・感情の揺らぎ、体調の変化など)が土台にあっての頭です。
要約すると、体あっての頭ということですね。
人は、頭だけで測れるものではありません。面白い人が皆頭いいですか? 付き合いたい人が皆頭いいですか? 頭の善し悪しだけで人と付き合っているのでしょうか?
(上記を話し始めると、そもそもそういう議論ではないと反論されますね(汗))
総合評価は、おそらく一個人では計り知れないでしょう。
どんな人にもいいところ悪いところはあるわけです。ひとつ取り出して評価するのは、単純に優越感を得たいだけではないでしょうか。
うーん、ささいなことですねぇ(笑)。