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仕事って楽しいよ

 花型部署や、花型役職から見ると、地味なデスクワークをしている。
 そう言う役職の人から、この先、その仕事ずっとやっていくの? と聞かれることがある。
 意味は、ふたつ合って、「(1)つまらない仕事をやっていくの?」と「(2)年老いたら仕事なくなるよ」というニュアンスが含まれている。

 前のブログで書いたように、刹那主義的な思考でいけば、2については、どうでも良くなる。
 どうでも良くなるというと、少し暴言がすぎた。

 どんな仕事でも、何かの類似性があり、何かをやって得た技術は、他のことにも応用することができる。年老いて、その仕事を若者に取って代わられリストラされたとしても、新しく別の仕事をするときも、その類似性が職能の習得に役立つ。さらに、仕事さえ選ばなければ――汚い・辛い・安い仕事で、場所も限定しない――どこかには、収入を得るための何かを見つけることができる。

 今回は、上記の話ではなく、1について少し考えてみたい。


 地味なデスクワーク――事務処理や総務的な仕事は、億単位のお金を動かして、利益をガンガン出している人には、どうしてもつまらない仕事に見えてしまうだろう。
 その人が普段感じているアドレナリンに比べると、確かに見劣りしてしまうかもしれない。
 ただ、アドレナリン量は自分の感情に合わせて変えることができる。自分がその仕事にどういう気持で打ち込むかが、面白さに直結するのだ。だから、一概に地味な仕事に見えても、つまらないということはない。

 同じように、道路工事で車の交通整理をしている人も、見下すことはできない。
 いや、誰であっても、他人を見下すことは出来ないのではないだろうか。

 どんな仕事でも、やってみると、その仕事の面白さがある。
 お金をもらっているわけだから、面白かろう、面白くなかろうが、就業しなければいけないのだが、いやいややっていると、その仕事の面白さに決して気づくことは出来ない。
 面白さを見つけるコツは、子供の頃に遊びを創作したことを思い出してみるといい。自分の中で影を踏まずに学校に行くというルールを作ってみたとする。そうすると、今までなにもなかった通学が、ゲームになる。
 他にも、皿洗いをいかに綺麗に素早く行うか――制限時間と、かかった時間を決める――を競ってみたり、道路の模様を踏まないだけでも一種の遊びになる。

 やっている仕事を分解して、ひとつひとつを知れば知るほど、上に書いたような簡単な遊びを仕事の中で思いつけるだろう。
 それは、仕事を不まじめにやるということではない。
 仕事のなかの楽しみなんて、自分で作るものだということだ。

 他人の仕事と自分の仕事を比較して、面白いか面白く無いかを順位づけすることに意味などない。
 それは、人の品性が無いことを白状しているだけだ。

 どんな仕事であっても、楽しいめることはある。
 ただそれだけのことなのだ……。